草津宿街道交流館
史跡草津宿本陣
ホーム
浮世絵双六
草津宿学問所
利用案内
草津宿、本陣について
江戸時代の街道
こどもページ
グループ・団体の皆様へ
会員制度のご案内
学校関係者の皆様へ
宿場日和(草津宿だより)
お問い合わせ
*
ホーム 草津宿・本陣について
草津宿、本陣について

草津宿

東海道五十三次のうち、江戸より数えて52番目の宿場町で、東海道と中山道が分岐・合流している交通の要衝でした。天保14年(1843)の「宿村大概帳」によると草津宿には、田中七左衛門本陣と田中九蔵本陣の2軒の本陣、2軒の脇本陣、72軒の旅籠がありました。(脇本陣、旅籠の数は時代によって変化します)
また、草津宿は中山道と東海道の分岐点で、その分かれ目に追分道標が立っています。(草津宿本陣からは歩いて1分程です)道標の上部にある現在の火袋は木製ですが、文政4年(1821)頃につくられた「栗太志」によると、当時は銅製であったと記されており、大変立派なものであったことが分かります。
追分道標追分道標

草津宿本陣

「本陣」とは本来、戦の際に軍の総大将のいる本営のことを指していましたが、休泊施設としての起源は、室町幕府の二代将軍足利義詮が上洛に際して、その旅宿を本陣と称し宿札を掲げたことに求められます。そして江戸時代には街道を往来する大名や公家等、貴人の休泊施設を指すようになりました。
ここ草津宿本陣は、当主の田中七左衛門が寛永12年(1635)に本陣職を拝命したとされ、明治3年(1870)に本陣が廃止となるまで、代々本陣職を勤めてきました。また、いつの頃からか材木商も営む様になり、田中九蔵本陣と区別して「木屋本陣」と呼ばれていました。
本陣が廃止となった明治時代以降、本陣の建物は郡役所や公民館として使用されていましたが、江戸時代の旧姿をよくとどめているとして、昭和24年(1949)に国の史跡に指定されました。現在、全国に残る本陣の中でも最大規模を有しており、当時の面影を今に伝えています。
史跡草津宿本陣
*

このページのトップへ